私は未診断だがADHDらしい。
と言うのは病院で正式な検査を受けてないからだ。
以前心療内科に行ったら「おそらくADHDですが検査をしましょう」と言われた。私だけじゃなくて家族にも調査をし、子ども時代どんなだったかまでヒアリングするという。家族とは離れて暮らしていて面倒をかけるのは嫌だったのと、多動すぎるとかよっぽど生活に支障がない限り投薬などの治療はしないと言う。
そもそもADHDは特質であって病気ではないと聞き、だったら検査してもしょうがないよね?と思い、それきりにした。
しかも十年ほど前に自分はHSPだと知ってはいたが、最近になってHSP型HSSだと判明した。内向的で繊細なHSPと、外交的でアクティブなHSS。前に双極性障害じゃないの?と言われたことがあるが、一発で腑に落ちた。静と動の両極端さ。そういう気質だったのだ。(ちなみにHSP型HSSは人口の6%しかいないと言う)
どうしよう、どうしようと小さなことを気にして不安になる臆病さと、突然アポなしで海外の人気作家アーティストに会いにドッカーン!と行ってしまう大胆さ。そういえば友達に「言うことがコロコロ変わるんだもん!いいかげんにしてよ」と怒られたことがある。昨夜メソメソと電話で泣き言を言ってたから心配してたのに、今日はケロッと忘れて「イエーイ!元気~!?」なんて電話をかけてくるのだから、腹も立つだろう。ああもうごめんなさい。もう生まれつきこういう気質なんです。
この両極端さを直そうと心療内科で半年ぐらい治療したことがある。静と動の間、グレーゾーンを目標にしましょうというわけだ。両極端に走ってしまう私をもう一人の自分が俯瞰して見ている。このやっかいな気質を直すのではなく、それを見守る傍観者を作り、まるごと自分を肯定しちゃいましょう。カウンセラーにそう言われ、治療に挑んだ。
なかなか根気がいる治療法だったが、傍観者を作っていくことで、自分を客観的に見られるようになってきた。ああ、今落ち込んでるなー。睡眠不足かな。夜は早めに寝るか。または、めっちゃハイになってるな。後でドッと疲れそう。ちょっと落ち着こう。はい、深呼吸。・・みたいに、扱いが少しずつわかってきた。
かと言って両極端がなくなるわけではなく、シーソーのように静と動の間を揺れ動く。しかもADHDだから興味があっちこっちに飛び、発想がポンポン湧き出て頭の中が高速回転している。こんなだから脳も心もすごく忙しい。だから疲れる、疲れる。
ただ心が安定する時は、「作品を作る時」そして、こうして「文章を書く時」だ。作品を作る時は両極端全部をぶちこんで私そのものに集中し、文章を書く時はあたかもKazumiについての研究論文を書くかのように冷静でいられる。
もしかしたら私はKazumiとして生きるのではなく、Kazumi研究者でいたいのかもしれない。それぐらいKazumiは面白いヤツなのだ。「そんなあなたを観察するのが楽しい」と言ってくださる奇特な方もいて、もはや珍獣のよう。ある精神科医が「うちに来る芸術家さんはみんなそうですよ。芸術家のバッジぐらいに思って、それを生かせる場所で花を咲かせましょう」と言ってくれたのが救いだ。
こんな変てこりんな私ですが、これからもどうぞよろしくお願いします。