成功の秘訣 ~アラカン女の大挑戦~

日々のこと

宣言。

私はこの夏

飛び込み台からジャンプします。

 

飛び込んだ先はエーゲ海のような美しい海?

それとも屍の匂いがする死海?

 

どんな海が待ってるか

神様にしかわからないけど

決めました!

今住んでる田舎町から飛び出して

全てをリセットし

遠く離れた大好きな町で

アーティストとして生きて行くことを。

 

挑戦した結果

エーゲ海で悠々と泳ぐか

死海で苦しみながら死ぬか

一か八かの大勝負。

でも私は挑戦したことを絶対に後悔しない。

それだけは自信がある。

 

そのために今コツコツと準備をしている。

食べていくためのスキルを磨いたり

本業である作品を制作したり

いじましいほどの節約をして

せっせと貯金に勤しんだり、と。

 

「やるぞ!」と鼻息荒くファイトに燃えていても

時には不安で焦ってしまう。

胃が痛くなる。

誰か助けてと救いを求めたくなる。

 

でもそんな弱い自分を受け入れよう。

大勝負に挑む勇敢な自分を褒め称えよう。

 

だいたいアラカンにもなって

こんな無謀な挑戦する人、いる?

私だからできるのよ。

今までの波乱万丈な人生で

何度も挑戦を重ねて来たからこそ。

もちろん手痛い失敗も

たくさん積んで来たけどね。

 

 

あれは30才の頃だったろうか。

起業なんて言葉もない時代

フリーのイラストレーターとして

広告代理店や印刷会社を

100社ぐらい営業しまくった。

 

時にはアポなしで商店街を営業して回る、

と言うこともやった。

「お店のチラシを作ります」というセールスだ。

まあだいたいが

「いらんわ。帰って」

と入り口で追い払われた。

悔しかったがめげてる場合じゃなかった。

何が何でもイラストレーターとして

お金を稼ぎたかったからだ。

 

100社に営業した結果

10社ぐらいが受け入れてくれて

毎月、時には毎週定期的にお仕事を下さった。

私が辞めるまでの10年間、ずっとだ。

お仕事を下さった方々は口を揃えて

こう言っておられた。

「あなたの熱意に負けました」。

当時私は必死のパッチ(古!)で

「お仕事やらせて下さい!お願いします!」

と熱気ムンムン鼻息荒く迫っていたのだろう。

 

 

それから20年後の50才。

私はヨーロッパの某国へ

言葉もろくに出来ないのに

自分の作品を売り込みに行った。

何のコネもなくアポなしで。

日本だったら「非常識な」と叱られるだろう。

 

でも相手方はそんなことより

そこまで言うのなら、と面談してくれた上に

私の作品を一発で気に入ってくれた。

 

結果、一か八かの勝負は大当たりとなり

私の作品は海外で初めて売れた。

その時の担当者は後になってこう言っていた。

「こんな情熱的でパワフルな日本人に

初めて会ったよ」

と。

 

 

そう。

成功するために必要なのはとどのつまり

「熱意」

しかないのだ。

もうしつこいなあ!と嫌がられるぐらい

何が何でも成功してやるという情熱。

これが人を、状況を、

天をも動かして行くのだと思う。

 

だから私はあの30才の時、そして50才の時の

熱意を思い出そう。

もう年だから・・と

勇気不足を年齢のせいにしようとしていたが

そんな弱虫はチャレンジャーにふさわしくない。

もともと私はチャレンジャーの星に生まれた女。

だから波乱万丈な半生を乗り越えて来られたのだ。

 

 

もう迷わないし、

もうブレない。

私は死ぬまでアーティストとして生きる。

 

そして再び

日本を飛び出して

海外へも羽ばたいて行く。

もちろん熱意だけではなく

人の心をグッと掴む作品も携えて。

 

そのために

この夏、飛び込み台からジャンプします。

エーゲ海でも死海でもない

私に一番ふさわしい

「自由」と言う名の海へ。

 

 

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