HSP/HSS。
双極性。
ADHD。
めんどうくさい私の原因をそれらにしてしまっては、当事者の方たちに申し訳ない。
でもなぜ私がめんどうくさいのかを分析したら、そこに行き着くだろう。当事者の皆さんもそう言ってることが多い。「なんてめんどうくさくて厄介な自分」。
でもそれはあなたが悪いせいじゃない。今いる場所が合わないだけ。環境があなたから自信を奪っているのだ。
「そのままのあなたでいいよ」
そう言ってくれない上に、普通の人間に矯正しようとしている人たちに囲まれた、困った環境が。
私は今、そんな環境にいて、「頭が悪い」とさえ言われている。普通の人が考えつかないことを思いつくが、普通の人のように考えられないから。
頭は悪いんだろうか?よくわからない。ただ、小さい時は知能指数は良かったらしい。小学校1年生の時に「6年生並みの頭脳」と言われて驚いたと両親が話していた。
でもお金の計算ができない。こうなったらああなるだろう、と大局的なものの考え方ができない。マルチタスクができない。片付けが全くできない。何でも極端すぎて適当にやると言うことができない。日本人特有の気配りとか以心伝心ができない。できないことだらけなのが「頭が悪い」と言われるゆえんだろう。
かと思うと、記憶力の良さにびっくりされる。私は過去のこと、たとえば3歳ぐらいの頃のことをはっきり覚えている。
3歳のある日。
「年はいくつ?」
と聞かれてポケットの中から手を出して指を3本立てて見せた。その時に履いていたズボンはゴワゴワのウールで、季節は冬だった。家の裏に畑があり、私はそこにしゃがんで一人ままごとをしていた。板の端キレで作った包丁、まな板、それで雑草を切って料理のまねごとをしていた。その時に通りすがりのおじさんに聞かれたのだ。
「お嬢ちゃん、年いくつ?」
内気な私はポケットに手をつっこみ、しばらくうつむいて、それから思い切って手を出した。指を3本立てて。おじさんは道路工事の職人さんだった。道路はまだ砂利道だったが、アスファルトにすべくコールタールが塗られていた。そのコールタールが黒いブツブツの泡を立てていたのも覚えている。昭和30年代後半。3歳の私は砂利道からアスファルトに移る時代の入り口にいた。
こんな風に、自分のことはさながら、他人のこととなるともっと覚えている。当時の母が着ていた割烹着の生地の手触り、父が使っていた歯磨き粉(チューブではなく、本当の粉)のジャリジャリとした触感、匂い。
「よくそんなこと覚えてるね」
私を知る人は大半がそう言う。呆れたように。その人が忘れたいことまで覚えているのが不愉快なのだろうか。まあ褒められることは少ない。
こんな特徴も私をめんどうくさくしてる所以だ。本当はきれいさっぱり忘れてしまいたい。父の歯磨き粉の触感なんてどうでもいい記憶、何の役にも立ちやしない。それよりも「そんなことあったっけ?」とケロッとサザエさんのように生きていたい。
ああサザエさん!あんな風に明るくノー天気で、「世界は私を中心に回ってるのよ」と言わんばかりに周りを振り回せたらどんなに幸福だろう。めんどうくささのかけらもなく、周りを振り回しているのに迷惑どころか皆を幸福にしてる女神のようなひと。
今度生まれ変わるならサザエさんになりたい。波平さんの歯磨き粉の触感なんて絶対に忘れているサザエさんに。もう今世は詰んだ感がある私は、ひたすら来世を願う。天国に行ったら原作を描いた長谷川町子に頼もう。お願い、私をサザエさんに見立てて描いて、と。
どうか来世はめんどうくさくない人生でありますように。何の役にも立たなかった抜群の記憶力を天国に残し、この世に生まれて来れますように。何の曇りもない完全ハッピーな、第二のサザエさんとして。