Eテレ「100分 de 萩尾望都」を観た。
1970年代前半から独特の世界観で魅了した漫画家・萩尾望都さん。私も大好きで、特に「トーマの心臓」に夢中になった。
今日の放送では「トーマの心臓」を詳しく紹介し、ヤマザキマリさんをはじめ文化人ゲストが熱い思いを語り、とても中身が濃い内容だった。
「トーマの心臓」公開時、まだ中学生だった私には作品の深い意味がわからなかったが、キリスト教の世界観が根底にあると聞いて納得した。罪と赦し、生と死。それらを宗教臭くなく、美しく繊細に描いている。
作品を発表した当時の萩尾さんはまだ20代と若かったと思うが、よくこんな宗教的テーマ(しかも仏教が根付いている日本では発想しづらいキリスト教の)を深く掘り下げたな、と感心した。
ヤマザキマリさんが「半神」という作品を紹介していたが、タイトル通り、ここでも神への根源的な問いを描いている。
萩尾さんがキリスト教かどうかはこの際別として、神に問いかけざるを得ないシビアな生い立ちや経験を積んでこられたのかもしれない。ご自分でも「イグアナの娘」という作品でお母さまとの確執を描いたと語っておられた。
「なぜ、なぜ?」そう神に問いかけたくなる場面は人生で幾度と訪れる。真摯に向き合えば向き合うほど。神はそんな人を表現者に選ぶのだろう。苦しめば苦しむほど、珠玉の作品を創る人を。萩尾さんはその選ばれた人だった。そして神への問いかけをマンガを通して表現した。萩尾さんの作品はすべて神へのメッセージなのかもしれない。
逆に言えば、いくら完成度が高い作品を創り、立派な経歴を経た作家さんでも、神に問いかけるほどの苦しみを感じない人の作品はただつまらないだけで。どうだ凄いだろう!と言いたげなエライ作家さんの作品や展示を見てもピンと来ないのは、無教養な私に見る目がないのか、その人が神に選ばれた人でないのか。
それらを見分ける目を、神よ私にお与えください。